アンリカルティエブレッソン回顧展に行ってきたよ。

感想は長くなるので晩御飯の支度のあとで。
と思いましたが、明日が早いのでまた明日の夜にでも。とりあえず行って損はないと思います。
すみません、仕事が忙しすぎる。
というわけで書きます。帰宅してシャワー浴びて、一息ついたらもう2時だ……。
 
展覧会情報アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌
これに行ってきたわけです。
お目当てはビンテージプリント。
プリントについて簡単に説明すると、最近のマグナム*1絡みの写真展は大抵、HPの大判インクジェットプリンタによるプリントでの展示のようですが、今回もほとんどはインクジェットプリントのようです。そんな中でも貴重な撮影当時の本人(もしくはプリンターのピエール・ガスマン)によるビンテージプリントが相当な点数展示されていました。見比べてみて感じたことは、

  • ブレッソンのプリントの粒状感のなさは特筆物(シャープネスが低いということもありますが)
  • 現代のプリントは高コントラスト、高シャープネス、の一辺倒。シャドーのつぶれ、ハイライトのとびよりもメリハリ重視。作品と表現意図によってコントラストの強弱を調整するという意思が見られない。
  • 作者の表現意図の反映、という点でビンテージプリントの価値は高く見られることに納得。

写真展にはしばしば行きますが「綺麗」「どうやったらこんな風景撮れるの?」「表情が良い」といった被写体に対する感想はよく思いつくし、聞く事があるのですが、ここまで明確に「この時のこの人の感情を写したかったのだな」といった撮影者の考えが伝わってくる写真は初めてでした。ブレッソンの写真の絵柄自体は小さいながらも写真集とかも持っていて知ってはいるのですが、オリジナルプリントでの表現というものがこういう力を持つものだとは自分でプリントを行なっていながらわかっていませんでした。
もちろん、作者がプリントに何を盛り込みたいのかによって選択されるべきものだとは思いますが、プリントに撮影者の主観が強く焼きこまれている写真、は表現として挑戦に値すると強く感じました。
想像以上に収穫が多い写真展でした。写真に興味のある方は是非行ってみて欲しいと思います。
 
と、前向き感想を熱く語ったので否定的意見も。
ブレッソンの写真自体は個人的にとても好き*2なので文句は特にないのですが、展示について少し。
この写真展は全世界を巡って行なわれています。また、作品は基本的に全紙ライカ*3に伸ばされていますが、一部展示のアクセントとしてより大きなサイズに伸ばしているものもあります。で、そのアクセントとなる写真のセレクトが凡庸でした。や、いわゆる代表作の類が伸ばされるのはわかるのですが、ブレッソン自身が日本で初めて写真展を開いたときに「日本での写真展には日本の写真を展示するべきだと思った」というエピソードがあります。また、そのエピソード自体も紹介しているのに、そういったブレッソンの相手国への敬意、礼儀のようなもの(とMooさんは思っています)を考えないで凡庸なセレクトを行なうのは楽しくないな、と思いました。個人的には今回の写真展がアジアでの展示であることを考えると戦中の中国で撮影した「蒋介石匪軍」とか書いたポスターの前にいる子供の写真は特にアクセントにすべきだと思います*4
あと、展示に来ていた人の会話が漏れ聞こえてきていたのですが、ビンテージプリントとメリハリコントラストインクジェットプリントを比較して「現代のプリントの方がハッキリ写っているね」とか「紙が変色しているね」とか言っていたのですが、なんというか的外れなところばかり見ているように感じました。そんな人ばかりではないと思うのですが、結構写真に造詣の深そうなマダムだっただけにちょっとがっかりしてました。

*1:世界最高レベルの写真サークルのひとつ。

*2:スナップなのに構図が美しい、そしてユーモアも忘れない←重要。

*3:ブレッソンの写真は基本的にノートリミングなので。

*4:別に日中問題とか実際にその時代に生きていたわけではないので語るつもりはないのですが、フォトジャーナリズムといった意思を強く持っていたマグナムに属するブレッソンの写真展なのだから、来展者に近しい当時の事実を物語る写真には意味があると思うのです。同じ絵や、写真でも時代によって重要性、意味、評価が変わるように地域、文化によっても変わると考えるのはおかしい考えではないと思っています。